2019年5月、美ヶ原高原美術館内を特別にお借りできるイベントに参加することを表明してきましたが、その撮影記です。
記事:2019年5月の美ヶ原高原美術館 星景撮影スケジュールプラン
今回はその続きです。
こんなことを書きます!
プロローグ
2019年5月24日(金)から26日(日)の2泊3日で、今年も美ヶ原高原美術館の特別許可をいただいて2日間に渡って野外展示場のモニュメントたちと星景写真撮影を行いました。(通常は夜間入場することはできません)
5月24日(金)の前の週の金曜日、5月17日未明・・・寝ていると娘が突然泣き出しました・・・【お腹が痛い!!】
ということで詳細はここでは割愛しますが、夜間救急騒ぎで寝不足になることに・・・ 詳細は最下部に小さな文字で記載しましたが写真とは関係ないのでスルーしてください。記録用です。
この結果、月曜日からも多少溜まってしまった仕事に追われ、何とか片付いたのは前日23日の木曜日でした。この週はあまり早く帰宅もできず、帰宅してからゆるゆると撮影会の準備もしつつで寝不足気味で参加することになりました。
GPV天気予報
GPVをずっと見てましたがちょうど快晴が続く2日間になりそうでした。
GPV天気予報:http://weather-gpv.info/
5日前にチェックした時は2日目の土曜日の夕方に少し雨が混じるかもという状況もありました。
前日に朝にチェックしてみたらかなり快晴の傾向になって一安心。そして実際に快晴の二夜でした。
仲間をピックアップ
5月24日(金)は新宿駅に一部の参加者ピックアップすることになっていました。そのため早く起きて、家族を起こさないように早めに出発しました。
Sony SO-03J (4.4mm, f/2, 1/1250 sec, ISO40)
少し早めに着いたのでまたGPVチェック。21時頃に雲が広がるのか? しかしそれ以外は晴天模様。当日になっても天気予報に一喜一憂でした。
実際のタイムライン
さて実際のタイムラインです。
■5月24日(金)
15時前 山本小屋に到着
15時半 大会議室にて先生のギャラリートーク兼メンバーのフリートーク開始
17時頃 美ヶ原高原美術館へ移動
17時15分頃 美術館に到着し、初心者組とベテラン組の2パーティでロケハンへ。あとは弁当が用意され、各自自由行動に。
そして撮影!
OLYMPUS E-M1MarkII (14mm, f/5.6, 1/1.3 sec, ISO200)
まずは夕焼けの時間帯に早めに弁当を終えて飛び出しました。ほんのり夕焼けを映り込みに混ぜたり、青い空の時間帯を狙っての撮影です。
その後も快晴は続きます。今回は2日間晴天の予想だったので、初日は遠い東側を中心に攻めることにしました。
21時過ぎには天の川が見え始め、21時半にはかなり濃い部分まで昇ってきました。そこから1時間くらいは濃い天の川が徐々に昇り、さそり座も一緒に昇ってくる最高の時間帯でした。
天の川の横には木星がかなり明るく輝いていました。
SONY ILCE-7M3 (15mm, f/2.8, 15 sec, ISO3200)
SONY ILCE-7M3 (15mm, f/2.8, 15 sec, ISO6400)
OLYMPUS E-M1MarkII (12mm, f/2, 15 sec, ISO2000)
OLYMPUS IMAGING CORP. E-M10 (14mm, f/2.8, 20 sec, ISO3200)
23時を過ぎたら徐々に撤収の準備です。
23時半頃 美術館撤収 — 途中、牛臥山で撮影希望の人は下ろして、それ以外は宿へ戻る
23時50分頃 山本小屋帰着
山本小屋の駐車場でも天の川も見えたりしているのでそのまま私は山本小屋前の駐車場で撮影を実施。
OLYMPUS E-M1MarkII (8mm, f/1.8, 20 sec, ISO3200)
その後、少し美しの塔へ行って撮影し、1時半くらいには宿に戻りました。データのコピー、そしてお風呂に入ってと時間が経ち2時半過ぎの就寝でした。
■7月21日(土)
7時半 朝食 早めに朝食にして始動
8時半 ロケハン出発 — ビーナスラインを下って、八島湿原でのロケハン
9時半頃 八島湿原に到着、1時間程度のロケハンタイム
10時半頃 八島湿原を出発
11時半頃 美ヶ原高原美術館到着、早めの昼食
12時半過ぎ 山本小屋へ帰着、夕食まで自由行動 (午後の睡眠時間 ← 今回も結構これが重要でした)
18時頃 山本小屋で夕食
19時頃 美ヶ原高原美術館へ移動
19時15分頃 美術館着
いよいよ2日目の撮影開始!そして快晴!!
2日目は美術館の西側を中心に攻めます。
SONY ILCE-7M3 (27mm, f/2.8, 20 sec, ISO3200)
SONY ILCE-7M3 (15mm, f/2.8, 20 sec, ISO3200)
SONY ILCE-7M3 (29mm, f/2.8, 10 sec, ISO3200)
OLYMPUS E-M1MarkII (8mm, f/1.8, 20 sec, ISO3200)
SONY ILCE-7M3 (30mm, f/2.8, 10 sec, ISO3200)
OLYMPUS E-M1MarkII (8mm, f/1.8, 20 sec, ISO3200)
OLYMPUS IMAGING CORP. E-M10 (7mm, f/2.8, 15 sec, ISO2000)
SONY ILCE-7M3 (50mm, f/2, 13 sec, ISO3200)
OLYMPUS E-M1MarkII (8mm, f/1.8, 20 sec, ISO3200)
あまりの快晴続きで忙しすぎてかなり疲れました。
23時半頃 美術館撤収
23時50分頃 山本小屋帰着
酒盛りする人、撮影する人、それぞれ自由な時間を過ごしたようですが、私は帰りの運転もあるので早めに就寝しました。
■5月26日(日)
あとは帰るだけです。
7時半 朝食
9時 チェックアウトして会議室に集合。それぞれの成果などをシェア。
11時45分 解散。各自の車でビーナスラインを下ることに。岡谷ICを目指し、諏訪湖SAで昼食をとってからそれぞれの帰路につくことに。
今回の狙いと結果
■1日目(5月24日):美ヶ原高原美術館の西半分を中心に狙う
- 夕日から天文薄明は、西側の「ビーナスの城」の向こうに落ちていく夕日を絡めて狙う —α7Ⅲ + 28mm:失敗 (夕日の落ちる方角が少しずれて「ビーナスの城」とは合わず)
- 天文薄明時間帯から東側へ移動し、「マイ・スカイホール」+天頂付近の北斗七星、春の大曲線を狙う —OM-D E-M1 mk2 + 8mm魚眼か7-14mm:半分成功(機材のやり繰りの都合でα7Ⅲ+15-30mmで狙うことになり、時間的にもアルクトゥールスからスピカまで入りきらず、春の大曲線とはならず。)
- 「マイ・スカイホール」の近くの映り込みするオブジェを利用して北天の日周運動を狙う — OM-D E-M10 + 24mm:失敗(機材のやり繰りの都合でこのオブジェを利用できず)
- 20時半くらいに「ビーナスの城」方面を撮っているカメラを東側へ移動して、「山上のソロ」と南西の空に上がるうみへび座(15mmでぎりぎり)を狙う —α7Ⅲ + 15mm:失敗(南西側は木々に遮られ高度的にオブジェと合わず)
- 21時くらいに「マイ・スカイホール」から移動させたカメラで「垂直な空間」と南西の空のしし座を狙う —OM-D E-M1 mk2 +7-14mm:失敗(南西側は木々に遮られ高度的にオブジェと合わず)
- 21時半くらいに北天の日周運動を撮っていたカメラを移動させて、「暦」と南東に昇ってくる天の川を狙う — OM-D E-M10 + 24mm:失敗(このオブジェと星を絡めるがかなり難しい位置と判明)
- 22時くらいに「垂直な空間」から移動させたカメラで「サモトラケのニケ」と天の川を絡めて連続撮影 —OM-D E-M1 mk2 +7-14mm:成功(夏の大三角と天の川を絡めて撮影)
- 22時15分くらいに「山上のソロ」からカメラを移動させて、「サモトラケのニケ」のタテヨコ構図とその近くのオブジェを絡めて単写で撮る —α7Ⅲ + 15-30mm:半分成功(夏の大三角と天の川を絡めて撮影するも、縦構図は決まらず)
■2日目(5月25日):美ヶ原高原美術館の西半分を中心に狙う
- 20時くらいに「局面における位相空間」の映り込み+南天の空を狙う — OM-D E-M10 + 24mm:成功(実際には機材のやり繰りの都合でOM-D E-M1 mark2を利用)
- 20時15分くらいより橋のたもとより北東の天頂付近や北斗七星を狙う —OM-D E-M1 mk2 +7-14mm:成功(実際には機材のやり繰りの都合でα7Ⅲを利用)
- 20時半くらいに「ビーナスの城」と西に沈む火星+プロキオン+ふたご座の日周運動を狙う —α7Ⅲ + 50mm:失敗(「ビーナスの城」ではなく、「幻の宮殿」方面のオブジェと撮影していた)
- 21時くらいに「局面における位相空間」から移動させたカメラで「Flying Object」と南天の空を狙う — OM-D E-M10 + 24mmか8mm魚眼:失敗(「Flying Object」ではなく、「イリアッドジャパン」方面のオブジェと撮影していた)
- 21時半くらいに「ビーナスの城」からカメラを移動させて、「空相」と北天の空を狙う —α7Ⅲ + 28mm:失敗(機材のやり繰りの都合でこのオブジェを利用できず)
- 21時45分くらいに橋のたもとから移動させたカメラで「幻の宮殿」と北天の空を狙う —OM-D E-M1 mk2 +7-14mm:成功(ベガを頂点に配置)
- 22時くらいに「愛のモニュメント」と南天の天の川を狙う — OM-D E-M10 + 24mm:半分成功(天の川と木星の配置が今一つ)
- 22時半くらいに宇宙のイメージと重なるオブジェと絡めて撮影 —α7Ⅲ + 28mmか 15-30mm:成功(前日にOM-D E-M1 mark2にて撮影)
- 22時45分くらいに橋のたもとより南東の天の川を狙う —OM-D E-M1 mk2 +8mm魚眼:失敗(2日目にお題として出された天の川を入れない構図に注力して他のオブジェを撮影)
今回もほとんど狙い通りにはいきませんでした。
天候は素晴らしすぎて、今までこんなに晴れたことはなかったというくらいの大快晴でした。他の方もかなり満足したようです。
しかし事前にプランの想定とはかなり違うオブジェもあり苦戦しました。机上ロケハンでは高低差があまり確認できず、これは現場で修正するものでした。結果、違うオブジェに注力するなど、機材のやり繰りにも影響がでました。
また反省点としては3台はやはり多いかなと改めて感じました。1台を放置しつつ、もう一台で動き回っていろんなアングルで撮るのが良いかなというのが感じたポイントです。
10月にまたやる予定なので、この反省を活かせればと思っています。
長い1日(撮影とは関係ない、1週間前に起こった出来事の記録ですのでスルーしてください。)
昨晩早めに寝始めたのは良かったが、深夜1時半頃、娘の【お腹が痛い!】と泣き始めたことに端を発する。すわ、救急車かとも思ったが、真夜中に呼ぶのもご近所迷惑かなと思い近くで夜間も見てくれるところはないか電話で問い合わせる。近くの江東病院か、うちからは遠いお台場の昭和大学病院とのことで、妻が江東病院に電話をした。しかし、外科系の受け入れはできるが、内科系はなにもできないとのこと。おいおい大丈夫か、医療系の電話案内…と思いつつ、妻がもう一度同じところにかけ、昭和大学病院の電話番号をゲット。
その間も痛い痛いと泣き続ける娘。痛いのはおへその周りということで、どうやら盲腸とかではなさそう。見ているとお腹の呼吸が荒いのでお腹に手をおいて暖めてみる。前の晩、喉が痛いと言っていた風邪の影響か熱は38度5分もある。と、同時に、昭和大学病院以外を探すよう妻に指示。江東区で探すからそんな回答なんだよ、墨田区、墨東(病院)とかの方が近いから、それで探してもらってと依頼すると、妻がネットで賛育会(病院)が見てくれそうと見つける。
賛育会、そうそう私が10年くらい前に緊急入院したところが近くにあった。結婚する1年くらい前だからもう10年近くになるか。。。光陰矢のごとし、月日の流れに驚くひまもないまま、娘は泣いている。とりあえず賛育会に電話してもらい事情を告げ、なんとか見て貰えることに。痛くて寝れずにいる娘も妻が電話している様子を心配そうに聞いてる。
【あした、びょういん?】
心配そうに聞く。病院はこの時間やってないから、明朝と子供ながらに思ったらしい。
【夜、見てくれそうなところを探してるんだよ】と、少しでも安心させようと説明してみる。こんな痛がっているのを待たせるのも忍びない。と、思っていたが、質問をできるくらい落ち着いてきたか?呼吸によるお腹の動きも少し弱まった気がする。盲腸とかでなく、胃や腸の痙攣とかであればとお腹に手を当てていたのが効いてきたか?素人判断は良くないが、何かしてあげないではいられなかった。
受け入れ可能なので急いで着替えて車ででる準備。ちょうど買ったばかりの眼鏡があって良かった。コンタクトを入れてる時間すら惜しい。娘には羽織る物を着せ、ブランケットをかけて車で出る。ナビが約1キロといっているが、信号で止まったり長く感じる。その間、娘の様子がだんだん普通に戻って来た気がする。妻が【まだ、お腹痛い?】と聞くと痛いと答えるが、外をキョロキョロ、ぐったりしなくなった。ヤバい。病院に申し訳ないことをしたか?
【おうちに帰って寝れそう?】と何度も聞くも【ううん】と答えるばかり。近いからすぐに病院が近づいてくるし、娘の様子は夜間救急が必要か?と素人目には思える。気をとられうっかり曲がるべき道を左折できず、下町の一方通行に阻まれ病院の周りを一周するはめに。これ幸いとまた娘に問いかけるも答えは同じ。駐車場の前に着き車を停めて最後の確認しても変わらず。なら仕方ない。せっかくだから診て貰おう。先生には申し訳ないけど、私から謝ればいい。駐車場に車を停めて、守衛さんに入れてもらい、受付へ。
【熱を測ってください】と看護士さんから体温計を渡され測ってみると37度2分。子供なら平熱レベル。やっぱり回復したかとばつの悪そうな顔をしていると、ベテランっぽい看護士さんは【外が寒いから下がったのかも。子供だから。】と優しいお言葉。そうしているうちに先生らしき男性が降りてきて、中に入っていく。
(先生、ごめんなさい)と心で詫びつつ診察室の前で待っているとすぐに呼ばれ、中へ。やっぱりさっきの男性が先生だった。先生は娘の背中と胸を聴診器をあてて診察していく。特段変わった様子もなさそうだ。先生から、【お父さん、お母さん、アレルギーとか喘息とかありますか?】と聞かれる。腹痛に対してのこの質問だからやっぱり大したことはなさそうかなと思いつつ、申し訳なさそうに【私は花粉症があります】と答え、妻は【小児喘息でした】と答えた。
そんなやり取りをしていると、【オキシ測って】と看護士さんに先生が指示。計測したら、【次はレントゲンして、吸入をしてもらおう。用意して】と。レントゲンを撮るのに1階から3階へ。不安そうな娘だが、【写真を撮るだけだよ。いつもパパがパチパチ撮っているでしょ?それと同じだよ。】というと、少し落ち着いたみたいだ。レントゲンを撮り終わって、1階の受付前に戻ると別の赤ちゃん連れのご夫婦が待っていた。
そうそう、この賛育会は出産に定評があり、そのため乳幼児のケアがしっかりしているらしい。そんなところに入院した私は、最初盲腸の疑いということで賛育会に行くよう言われ、CT等検査したら【今日、入院です】と言われて入院したのだった。今と同じ会社だったが、別の部署で、あわてて同僚に連絡して1週間くらい入院と言われたことを告げて、たくさんたまっていた仕事をお願いするはめになったのだった。結局、大腸憩室炎ということで4日点滴で過ごし、回復してから流動食を食べ始め、無理を言って7日目で退院させてもらったのだった。
そんなことを思い返していると看護師さんに案内されて、吸入をするために別のところへ。普段、ほとんど病気をしない娘は、口にあてる吸入すらいやらしく、【匂いがやだ】と、違った方向に顔を背けて泣き出す始末。こっちが泣きたい気分だよと思いつつも、なだめすかすも効果なし。結局あまり薬を吸入できないまま終わってしまい、また診察室の前で待つことに。すぐに呼ばれて診察室へ。
もう一度背中と胸に聴診器をあて、その後【オキシ】と呼ばれていた機器で計測するも、先程と同じ92くらいの数値を表示している。そして、先生がおもむろに聴診器の効く部分を私の方に向け
【お父さん、聞いてみてください】と。
聴診器を当てるのを胸の左右で交互にやりながら、【お父さん、音が違うのがわかるでしょう?】と私に問いかける。確かに、左右で音の大きさが違っている。先生はレントゲンの写真を見つつ、【さっきは驚かさないように言いませんでしたが、92という値は入院レベルです】
がーーん、なんと!
【人間は通常98とか99なんです。パルスオキシメーターって言って血中の酸素濃度を測るのですが、その値がすごく低い。レントゲンを見るとわかりますが、左右の肺の濃いところの大きさが違うでしょ?片方の肺に空気がちゃんと入らず、血中の酸素濃度が下がっているのです。それで苦しいからスーハー、スーハー息をして普段使わない横隔膜とかが一時的にいたくなったんじゃないかと思います。】
なんと、想像だにしない、腹痛からの呼吸器不全!! 小さい体で頑張っていたんだ。だから、お腹のあたりが痙攣のように波打つ感じだったのか。結果的ではあるが、温めていたのは悪くはなかったのかもしれない。
【喘息とかそういうレベルまではいかないと思いますが、お母さんが小児喘息とか持っていたので、風邪とかをきっかけに症状がでて気管支が狭くなってきたとかそんなことだと思います。】
だから先生は、症状が腹痛なのに、アレルギーとか喘息とかのことを聞いていたのか。処方される薬の影響を先に聞いているのかなんて思っていたのはど素人の自分だ。
【さて、問題はこれからどうするかなんです。】
先生が慎重に言葉を選ぶ。
【さっきも言ったように92という数字は入院レベルです。僕、ここの部長ですが、下の子(部下のお医者さんたち)がこの数字で帰したら僕は怒ります。欧米とかなら94とかでも入院ですし、日本では92は入院レベルなんです】
娘の病状にも驚かされたが、この若そうなお医者さんが部長ということにもおどろかされる。腕利きの先生に巡り合えたのは幸運だったのかもしれない。
【ただ、思った以上には意識もしっかりして元気なので。。。】
そういうと先生は娘に向かって
【4歳でおねえちゃんだから、お薬飲める?飲んだらお家に帰れるよ。約束できる?】
というと、娘は【うん】とうなずく。
いやいやいや。。。これまで病気らしい病気をしたことがなく、昨晩、のどが痛いと言い始めたのが乳児以来の風邪で、普段薬を飲み慣れてない娘にはハードルが高い。しかし娘は帰りたい一心で【うん】と言っている。
【ではお父さん、お母さん。薬を飲んでもらって、そしたら一旦帰ってください。そして明朝、もう一度診察に来てください。】先生はそういい、私たちは診察室を出て薬を待つことに。
看護師さんが持ってきたのは粉薬とピンクのシロップの飲み薬。
【4歳だからこれくらい飲めるよね】という看護師さんに対して、内心、粉薬は敷居が高いなと思っていたところ、案の定薬を口に入れて水を飲もうとしたところで飲みきれずほとんど吐き出してしまった。
看護師さんの【普段、お薬とかあまり飲まないですか?】という問いには、申し訳なさそうに返すのが精いっぱいだった。【普段、病気らしい病気をしたことがなくて、今回が初めてなんです。薬も飲んだことがありますが、ヨーグルトとかに混ぜてどうにかでした】
向こうが困惑するのもよくわかる。後は残ったシロップを飲んでもらうしかない。
【甘いから頑張って飲もう】娘に勧めるも、看護師さんは【子供用だから粉もそんなに苦くなくて甘めなんです】って、そんなチャチャはここではいらないからと泣きたい気分になった。娘は娘で頑張って一口目を飲んだが、薬の味、においがするからか【もうやだ~】と大泣き。
【がんばろう! ほら、水を飲んでごらん】とさっき粉薬で使うはずだった水が多めに残っているのをこれ幸いと何とか飲ませる方向へ。
娘は飲まなきゃいけないこと、飲まないと帰れないことを理解しつつ、この飲みたくないピンク色の液体に逡巡しつつ涙を流している。
がんばれ!!
シロップはちょっと飲んでは水を飲まし、そこで泣き始めるのを落ち着くまで待ち30分以上の格闘をしつつ、なんとか4,5回に分割しながら飲むことに成功。がんばったな!これで帰宅の途につくことができた。
車を出すと夜が白み始めていた。もう4時過ぎ。今日は金曜日で仕事だ。仕方ないので、自宅に戻ってすぐに会社のチームあてにメールをうち、在宅勤務をすることを連絡。4時半のメールで娘の夜間救急対応のことに触れたから事情は察してくれるだろう。やっと眠りにつける。
と思ったらあっという間に朝。通勤時間分、少し遅く起きれたが完全に寝不足。
さらに、娘が午前に診療でやっぱり入院となったら、妻と交代しに病院に行かなければならない。本日締め切りの仕事も溜まっている。ヤキモキしながら、妻と娘を病院に送り出し業務を開始する。
普段はノートPCの液晶を含めて3画面で作業しているのに、今日はノートPCの1画面だけ。仕事の効率が無茶苦茶悪い。さらに娘の状況が気がかりで仕方ない。妻にLINEを送るも無反応が続く。大丈夫か?
やっと連絡が来たのは昼過ぎ前の11時半
「かえれる。また火曜日。本日」
あなたのLINEは電報?と思いつつも、とりあえず帰れることに一安心。
12時になって薬局の待ち時間からか、やっと電話がかかってきて、数値が96くらいになったことを聞くも、まだ正常値ではないから来週の火曜日に再診察に行く必要があるとのこと。電報の意味をやっと理解できて、一安心。このまま自宅で仕事をしようかと思うも、溜まりすぎた仕事と、ノートPC画面一つで効率が悪すぎることを考えて出社することに。自宅近くでさっと昼食を済ませ、自宅を出れたのは午後1時近く。会社に到着したのは2時少し前で、終業時間まではあと3時間半ということころ。いやいや、定時では帰るつもりは毛頭ないけど、一生懸命処理してもなかなか減らない仕事の山。
夕食も食べずに22時半まで仕事をして、何とか帰路につくことに成功。疲れ過ぎているのかJRの自動改札に自分の会社のセキュリティカードをかざして入ろうとする失態を起こしそうだったが、すんでのところで気が付いて手に持っているスマホを自動改札にかざしてセーフ。もうボロボロ。ホームに滑り込んできた電車に飛び乗り、席につくも異常な1日の影響か睡魔に襲われる気配はなし。
ならばこの長い1日を記録に残そうとスマホので記録を始めたら長編小説に。1時間の電車時間を降りても完結しないこの長編小説は、今、PCで推敲しながら書き連ねられもうすぐ終焉を迎えるところ。あと30分するれば、昨日、娘が泣き出した時間になる。帰宅したら当然妻も娘も寝ている。娘に大事がなくて良かったと改めて実感し、長い一日を終えるべく、夕食をどうしようか考えなければ。さらに太る予感。(完)
1%のフィクションと99%のノンフィクションです。